カンボジアに行った。
シェムリアップから2時間半、ベンメリア遺跡に向かう道中は、野原が広がり、想像通りの田舎だった。
道をひた走るトゥクトゥクは、風が吹き抜けてとても気持ちいい。日本にもあったらいいのにと思った。
すぐ横の草原には牛がいて、みんな休むことなく草を食べている。
どうしてか、カンボジアの牛は、みんな痩せていた。
アンコール遺跡が群立しているシェムリアップは、カンボジアきっての観光名所だった。
それぞれの遺跡は、細かい装飾が彫られていたり、下水路なども整備されていて、よくも石だけでここまで作れるなぁと感心しっぱなし。時間の経過で崩壊したり、破壊されたりしていたけど、どの遺跡も立派で見惚れてしまった。
ベンメリア遺跡の崩れ方は特に激しくて、ガイドさん(ガイドって言っても勝手についてきた人)が、「ベンメリア遺跡は、木々の成長のせいで崩壊してしまったんだよ」と言っていた。どうりで遺跡から樹が生えているわけだ。
シェムリアップの魅力は遺跡だけじゃなく、個人的にパブストリートという通りが好きだった。飲食店のオープンスペースや、雑貨屋が通りの両脇に並び、その脇にフットマッサージ店がちょこちょことある、主に観光客向けの通りだ。
まだ陽が沈んでいない時間に、開放感のあるお店で、ビールを飲む。ああ、幸せ。大人達が正月に昼間からお酒を飲む理由が分かった気がした。お洒落なジャズが流れており、それがまた心地よかった。
パブストリートにはシェムリアップに滞在した5日間のうち、毎日通ったと思う。そのくらい好きだった。
(※余談 いつだったかは忘れたが、宿で出会った人と宿のトゥクトゥクドライバーと、パブストリートにある欧米人向けのクラブへ行った。そう、夜なってもパブストリートは賑やかなのだ。しかし、欧米人向けのクラブへ行ったものの、日本人の僕らは欧米人の圧力にタジタジになってしまった。僕は最初、隅っこの方でフラフラと踊っていたものの、「これでは日本がヤバい」と思って、一人で欧米人のスペースへ突っ込んで行った。そこでどうにかジャパニーズスタイルを見せつけてやろうと思った結果、僕は侍の殺陣のような動きを取り入れることにした。しかし、銃しか知らない彼らにしてみたら僕は腕をクネクネと動かしているだけの変な奴だった。次に、忍者の動きを取り入れて踊ってみたが、これも全く見向きもされない。むしろ忍術手印が彼らには銃に見えたらしく、「Bang!」と撃つ真似をしてきて「マジなめんなよ」と思った。(今思うとノってきただけなんだけど)「もうこうなったらやるしかない…」と、僕はついに螺旋丸を取り入れた。するとどうだろう、一人の外国人が言った。「yeah, NARUTO!You are cool!」「・・・やっぱり日本の漫画は凄い」そう痛感した瞬間だった。)
それに比べてプノンペンは、街全体がかげっていて、薄気味悪かった。
バスを降りた瞬間からトゥクトゥクのドライバーが客引きで争っていて、それも印象を悪くした。華やかなシェムリアップから移ったせいもあるかもしれない。
キリングフィールドとトゥールスレン博物館が、プノンペンで訪れた唯一の場所だった。
どちらも人が大勢死んだ、殺された場所である。
同行人曰く、このような死や悲劇にまつわる史跡を訪れる事を、ダークツーリズムと言うらしい。
どちらも観光地としては不思議なくらい静かだった。団体で来ている観光客達も、いつの間にか個人で行動してる人も多い。
フラフラと場内を歩いていると、日本でも同じような感覚を覚えたことがあるのに気付いた。
広島の原爆ドームと、沖縄のひめゆりの塔だ。どちらも静かで、肩にのっかるような圧力があって、けど、その感覚は全く苦ではない、そんな感覚。
個人差はあると思うけど、僕はこういう場所が嫌いじゃない。むしろ機会があれば、もう一度訪れたいなとも思う場所だ。多分、想像力豊かで、リアリティを感じられる人はそうじゃないんだろう。
シェムリアップとプノンペンは陽と陰、日なたと日かげ、光と影、そんな真逆のイメージだった。
マレーシアから続いてのカンボジア。
ここでは、自分が日本人であることを強烈に実感、というか痛感させられた。
どこへ行っても「あじのもとー、おかもとー、おにいさーん」
「私の名前は、えみこ。お兄さん、水買って」と、物売りの少女に言われた時は鳥肌がたった。
日本語を覚える事は悪い事ではないし、むしろ嬉しい。
けど、彼らは僕たちとコミュニケーションが目的じゃない。僕らが持っているお金が目的なのだ。
日本人=お金持ちのイメージは間違っていないだろう。現に、日本の大学生はトゥクトゥクドライバーの月収くらい、もしくはそれ以上にアルバイトで稼げてしまう。
自分より10個も年上のおっさんに媚を売られ、自分より10個も下の子どもが必死にモノを売って来る。
違和感だった。
今まで日本で感じたことのない、コレ違うだろ、という感覚だった。
この感覚は次の国、タイでも感じる事になる。
ベンメリアからの帰り道、仲の良さそうな兄妹が高床式の家の入り口に座り、遊んでいた。
ちょうどその家の横を通り過ぎる時に、お兄ちゃんと目が合った。
シェムリに来て、子どもと目が合うと多くの子が笑顔で手を振ってくれる。
僕は、その兄妹も同じように笑顔で手を振ってくれるのだと思っていた。
しかし、彼はそれまで仲良さそうに遊んでいた妹の髪の毛を掴み、
「Look, her」と叫んでいた。
僕は思わず目をそらしてしまった。
トゥクトゥクを抜ける風は、大体が生ぬるいが、時折涼しい風が抜けて行く。
この旅と、少しだけ似ていると思った。
ベンメリアからの帰り道、トゥクトゥクに揺られながら、考えた。
カンボジアの牛は、どうしてかみんな痩せている。
人のせいか、土地のせいか?
しかし、放牧だからストレスもなさそうだし、草も生い茂っている。
結局、痩せている理由は分からなかった。
しかし、旅から帰ってきて、この記事を書いていてふと思った。
カンボジアの牛は痩せてるのではなく、彼らが本来の姿ではないかと。
カンボジアの牛は思っているのかもしれません。
「日本人は、人間にしてはブクブクに太っているなぁ」と。