こんにちは社会人

4月1日をもって、社会人になった。

3月31日までは社会人になるという自覚がまるで無く、ヘラヘラと毎日を過ごしていたが、同日、京都へ向かう新幹線の中で両親から届いたメールを見て、社会人になった気がする。正直言うと、新幹線の中で少し泣いた。

 

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ところどころにある、よく分からない絵文字に関しては、触れないでおこう。

 

その後、2日間のゆる〜い研修を経て、ついに私の中の社畜スイッチが押された。

 

私はネックレスを捨てたい
好きな本を捨てたい
携帯を捨てたい
お母さんと弟を捨てたい
家を捨てたい
何もかも捨てて
私は私だけになりたい

すごく寂しいだろう
心と体は捨てられないから
怖いだろう 迷うだろう
でも私はひとりで決めたい
いちばんほしいものはなんなのか
いちばん大事なひとは誰なのか
一番星のような気持ちで

 

この、谷川俊太郎の「捨てたい」という詩を初めて読んだのは、いつだっただろうか。大学3年、あるいは4年の時だったか。いずれにせよ、初めて読んだ時の衝撃、自分の腹の底を読み取られたような驚きは忘れられない。

 

そして、社会人となった今、思うこと。それは、孤独であるということである。

 

「最近わかったんだ。人生が線路のようなものだとしたら、自分と同じ高さで、同じ角度で、その線路を見つめてくれる人はもういないんだって」(中略)
「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。進路を考えてくれる学校の先生だっていないし、私たちはもう、私たちを産んでくれたときの両親に近い年齢になってる。もう、育ててくれるなんていう考え方ではいられない」

 

同居人に借りて読んだ、朝井リョウの「何者」でも、同じことを言ってた気がしたので、ネットから引っ張りだしてきた。あと、数年前に読んだチキリンさんの記事も思い出したので、載せておく。

 

d.hatena.ne.jp

 

 

共通しているのは、「自分だけ」ということ。これから死ぬまでの選択は全て自分で決めなくてはいけない。

それは、人によっては恐ろしいことのように思えるかもしれないが、孤独だけどすごく自由で楽しいことに感じるのは私だけだろうか。

 

さて、つらつらと書いてしまったが、最後に、お礼を言いたい。大学生活において各方面でお世話をしてくれたみなさま、本当にありがとうございました。

これを書いたところで、ほとんどの人は見ていないと思うのだが、これから先、違う形で恩を返していければいいな、と思う。がんばろ。