23歳になったった。
皆様お久しぶりです。
一日過ぎてしまいましたが、昨日で23歳になりました。お祝いの言葉をくださった方々、ありがとうございました。
20歳を過ぎてからというもの、すっかり誕生日の価値が薄れてしまったように感じます。「大人に近づいた!」と喜べたのも数年前までで、今はもう「オッサンに近づいている」としか考えられません。10年後は「やべーよ、もうじきジジイだよ」とか言ってんでしょうね。
それにしても、この間まで高校生だったのに、思えばずいぶん遠くまで来たものです。
重たい腰を持ち上げてブログを書いてみたものの、別段書くべきものもないので数年前の記憶に残っている話を書こうかと思います。
「鶏肉を食べたとするじゃない、それは何になると思う?」
親友のお見舞いの帰り道、親友のお父さん(ひでおさん(仮))からこんな問題が出されました。
突然の質問にビックリしたのと、意図がまるで分からなかった僕は、馬鹿正直に、
「…筋肉?」
と答えました。すると、ひでおさんは
「他には?」
と言いました。これまた僕は正直に
「…血?」
と答えました。
「そうだね。他にある?」
返答に困った僕は苦し紛れに
「骨」
と言いました。
ひでおさんは「そうだよね」と言って、少し笑いました。
そして、問題の意味も分からず悶々としている僕を見て、ひでおさんは続けました。
「全く違うものなのに、今は筋肉なり、血なり、骨なり、自分の一部になっているってさ、不思議だよね。…そう思わない?」
「はい…思います」
そう言った所で車は長いトンネルに入っていきました。
病院から家までは50kmくらい離れていて、山を幾つか越えるので、長いトンネルをくぐらなきゃいけません。等間隔で設置されたランプは、車と同じ速さで流れていきます。
鳥を想像して下さい。
豚を想像して下さい。
牛を想像して下さい。
手のひらを見て下さい。それらはすでにあなたの一部になっています。
僕は今でも不思議だなぁと思ってしまいます。
「でもそれはね、食べ物だけじゃないんだよ」
トンネルを出てちょっとした後、ひでおさんは続けました。
「聴いたこと、見たこと、感じたこと、楽しかったこと、…悲しんだことだって自分の一部になるんだよ」
僕は無言でした。
「…だからね、俺は今みたいな状態もきっとアイツにとって、アイツのためになってるんだと思うよ」
この言葉は、親友の闘病生活を肯定しているようにも、ひでおさんが息子の運命を肯定しているようにも、久々に親友に会ってナーバスになっている僕を励ましているようにも聞こえました。とてもあったかい言葉だなぁと思ったのを覚えています。
そして最後にひでおさんは
「頑張れよ」
と僕に言いました。
オチもないですが、話は以上です。
強烈に思い出したので書いてみました。
あ、身の回りにいる6月6日生まれの方、誕生日おめでとうございました。
ちなみにその親友も、6日に23歳になったそうです。
奇しくも同じ誕生日。変な縁もあるものですね。